過去、現在、そして未来へ
Story of JOYO

相談役・機械製造部
⻆田 鬨生
機械製造部
村田  廣

試練を乗り越えて

製品不良が続出して

HIPシリンダー事業は最初からうまくいったわけではなく、立上げ時は失敗と苦労の連続だった。新しい機械を導入して自動化を進めるものの、ベテランの技術力を継承して機械を使いこなす中堅・若手社員が不足していた。人を採用しても育った頃に辞めてしまう。最初は製品不良が50%を占めるありさまで、利益も上がらない。「当時は顧客や販売商社に謝りにいくのが仕事でした」と城治は振り返る。

技術継承と人材育成。今も弊社が最重視するテーマが、この頃の一番の課題となった。ベテラン社員は素晴らしい技術を保有していたが、それは一朝一夕で習得できるものではない。だが、提案力やプログラミング技術と融合させた総合的な技術力の追求という、時代に即した技術継承を目指すきっかけとなった。

さらに、品質保証に対する意識改革も行った。「やはり、基本作業を丁寧に大切にすることが肝要なんです。この時の教訓から、製造現場では基本作業の唱和を毎日行っています」。

そんな地道な取り組みも奏功し、やがて人も育ち、事業は軌道に乗っていく。


平成18年(2006年)本社ビル新築

減産の打撃と社長交代

基幹事業に成長したHIPシリンダー事業であったが、2008年のリーマン・ショックで大打撃をくらう。HIPシリンダーの受注が、ピーク時の月産300本から月10本未満にまで落ちたのだ。

その時に会社を救ったのは、豊と城治の二人三脚の経営だった。豊の人脈がつないだ利益率の高い仕事のおかげで、赤字化を免れた。造船部品・鍛圧部品や産業機械の部品加工などを多角的に手がけていたことも、社を支えた。まさに新旧一体となった経営で、危機を脱したのだった。

リーマン・ショックの1年後、HIPシリンダーの受注数は回復した。城治が二代目社長に就任したのは、そんな状況が収束しつつある2009年のことだった。


安定した経営基盤を構築

リーマン・ショックを乗り越えた城治は、製造業に影響を及ぼす市場動向を注意深く観察すること、そして安定した経営基盤を築くことの大切さを痛感していた。

そんなさなかの2012年、再生可能エネルギーを電力会社に一定期間固定価格で売電できる制度がスタートする。当時の社会で、太陽光事業にスポットライトが大きく当たっていた。

弊社の商社部門を担うグループ企業の城洋商事の太陽光事業への参入は、城治の即決によるものだった。豊や幹部社員、金融機関からは軒並み反対されたが、産学連携プロジェクトの頃に培った“経営の勘”が「いける」と歩を進ませた。プラント関連の事業で実績を積んでいたことも後押しし、2013年に太陽光発電事業の開始にこぎつけた。売電事業による安定した収益基盤が築かれたことで、弊社は次のステージに挑む足がかりをつかむ。


一覧へ戻る
PageTop